|
THE SCULPTURE OF RUTH ASAWA: CONTOURS IN THE AIR
ルース・アサワの彫刻:大気の輪郭展
2007 年 3 月 10 日から 2007 年 5 月 27 日まで
|
|

Ruth Asawa holding a form-within-form sculpture. 1952. Photograph by Imogen Cunningham.
|
この展示はサンフランシスコ・ファインアート美術館の Dr. Daniell Cornell 学芸員により企画されました。
『彼女の作品は力づよさ、そしてグループ・インストレーションとしての魅力があります。部屋に入ると表現できない親近感を感じメディテーションをするような静けさ、それでいてミステリアスな、静寂を感じます。』
アサワは一世の両親の 間にカリフォルニア州の Norwalk で 1926 年に生まれました。彼女の作品はすべてワイヤーを手で編んで製作した彫刻です。
アサワの作品は 1950 年代と 1960 年代に作られたもので、天井から下げられた彫刻を下から見るようになっています。
アサワ自身、自分の作品に対する考えかたは、「クラフトかまたはアートであるか、このような定義づけを人々はするが、ワイヤーがたまたま素材であっただけである。どこにでもあるような素材で作品を創りそれに定義づけをする、これが大切です。」
6 人の子供の母親であり、 1950 年代には「サンフランシスコの主婦」とも呼ばれ、また彼女の日系バックグランドから「家庭的女性の作品」とも評されていました。彼女は日系アメリカ人としてでもなく、またはアジア系アメリカ人としてでもない、ただ一人のアーティストして評価してもらうことを望んでいます。
|
アンセル・アダムス写真展
第二次大戦マンザナ強制収容所の生活
2006 年 11 月 11 日から 2007 年 2 月 18 日まで
|
|

Yuichi Hirata, c. 1943
Gelatin silver print
Library of Congress, Washington, DC: Division of Prints and Photographs, Lot no. 10479-1, no. 12
|
第2 次世界大戦中、日本人を祖先に持つ12 万人以上の日系アメリカ人はアメリカ市民であるにも関わらず、憲法に守られることもなく自らの政府によって、ミシッシッピー川より西に点在する荒涼たる収容所に隔離されました。
1万人規模の日系アメリカ人強制収容所がアメリカ政府によって運営されていることを知ったアンセル・アダムスは、有刺鉄線と監視塔の撮影は禁止という制限付きながら、マンザナ収容所内の様子が『悲劇の時』として写真に収められることになりました。
彼の写真集『自由と平等のもとに生まれて』には、「インヨの荒涼とした風景とそこに強制的に住まわされた何千人もの収容者の生命力を写し出したかったのだ。人々の生活が私の主な目的であったが、本の中には多くの風景が取り上げられている。」と、記されています。
|
「キップ・フルベック- 一部アジア人、 100 % HAPA」展
2006 年 6 月 8 日(木)から 10 月 29 日(日)
|
|

|
「キップ・フルベック- 一部アジア人、 100% HAPA」 では、 全米を旅し様々な年齢と階層の HAPA (ハーフ) 1000 人以上を撮り続けたアーティスト、キップ・フルベックのポートレートを展示します。「HAPA」という呼び方は、もともとハワイでハーフに対する蔑称として使われていましたが、今ではアジアや環太平洋からなどの異なる人種・民俗を祖先にもつ多くの人達の間で、誇り高き言葉となっています。フルベックの作品は、 HAPA がよく聞かれる「何人になるの?」という質問に、言葉とイメージで答えを模索します。化粧、装飾品、衣服を身にまとわない素顔の HAPA のポートレートと、彼らが何人であるかを記した手書きの言葉を組み合わせることで、フルベックは、その美しさとアイデンティティーを力強くそして私的に表現します。「キップ・フルベック- 一部アジア人、100 %HAPA」は、今では数が多い HAPA を探求するアーティストの挑戦であり、またアメリカ現代社会に広がる現実の複雑な側面を映し出します。
キップ・フルベックは、受賞写真家、映画制作者、作家、語るアーティストであり、彼の作品は世界中で展示されています。またカリフォルニア大学サンタバーバラ校芸術学部の教授・学部長でもあります。コンパニオンブック『part asian, 100% hapa』(まえがき-ショーン・レノン、あとがき-ポール・スピッカード)を Chronicle Books 社 より出版。
|
Isamu Noguchi – Sculptural Design
2006 年 2 月 5 日から 2006 年 5 月 14 日
|
|

Installation view at the Vitra Design Museum. Bench, 1966. Thomas Dix/Vitra Design Museum.
|
日系アメリカ人アーティスト、イサム・ノグチ(1904 −1988 )実用性と彫刻の美を一体化したノグチの作品。75 を越すノグチの作品が、劇場デザイナーとして名高い 芸術家ロバート・ウィルソンの一連のセッティングの中で展示されます。これには、ノグチの胸像をはじめとするユニークな石の彫刻や、マーサ・グラハムのための舞台装置,ノグチ独特のデザイン家具、照明器具「あかり」などがテーマごとに陳列されます。
|
「トシコ・タカエズ:土の芸術」展
Toshiko Takaezu: The Art of Clay
2005 年8 月6 日から2005 年11 月27 日まで
|
|

Toshiko Takaezu. Three Graces. Glazed stoneware. Photo by Fitzhugh Karol, 2005.
|
タカエズ・トシコはハワイで沖縄出身の両親の間に生まれ、日本の生活様式の中で少女時代を送りました。タカエズの仕事は「日本の伝統と西洋の美学を融合したもの」として位置づけられています。
「Closed Form 」という極めて収斂的な、内面的な表現を核に、それと対比するかのように、植物や臓器や溶岩を連想させる作品が見られます。
|
ペリー来航後の日本:横浜と明治時代の日本を描く
2005年2月 6日から5月 1日まで
|
|
|
今回のスミソニアン歴史博物館アーサー・サックラー・ギャラリーからの移動展示には、“横浜絵”と呼ばれる19世紀半ばの横浜をモチーフにした浮世絵版画24枚が展示されます。
1859(安政6)年の日米修好通商条約をかわきりに、江戸幕府は横浜港をアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダに開きました。この開港によって横浜には西洋の文化が流れ込み、静かな漁村が一夜にして活気あふれる人口10万人以上の国際港に変貌したのです。横浜では商人や外交官からなる外国人のコミュニティも栄え、さまざまな文物が生み出されました。西洋の船、初めて目の当たりにする異人の姿、洗練された異人館…異国情緒あふれる横浜の町は版画アーティストたちを活気づけました。
版画の技術は8世紀に中国から日本に伝わったものですが、18世紀半ばには多色刷りの技術が江戸の庶民文化の中で花開きました。
当時の版画家のほとんどは外国人を一度も見たことがなく、彼らは西洋の新聞、雑誌などをもとにヨーロッパ人を描きました。特に西洋の女性の姿は当時の横浜でもごく稀で、版画アーティストによって描かれた異国人の顔は人種の区別が明らかではありません。しかしそこには1872年に初めて東京横浜間を結んだ蒸気機関車やミシンなど「日本で初めて」のものが描かれています。
活気に満ちた浮世絵版画は急激な速さで地元そして外国人コミュニティヘと広がりました。1859年から1862年の間には500枚の版画が31名のアーティストによって製作されました。広重の「横浜異人館の図」、貞秀の「横浜異人商館の図」、芳藤の「アメリカ人遊興」が有名です。
今回出展されるのは、1990年代にウイリアム・リーオンハート元大使と婦人のコレクションからサックラー・ギャラリーに寄付された85作品の中の版画24枚です。さまざまな民族が固有の文化を失うことなく共存していた様子…文明開化の象徴となった横浜をこの展示でご覧いただけます。
|
ヘンリー杉本:一画家の描いたアメリカ
2001年3月24日−10月7日
|
|

ヘンリー杉本 「収容所での自画像」 1943、マデリーン・スギモト、ナオミ・タガワ寄贈(92.97.5)
|
ヘンリー杉本は19才で渡米、画家を志してサンフランシスコで学びました。やがてアメリカ国内や海外でも個展を開き、さまざまな展示会に出品するようになりました。彼が42才のときに第二次世界大戦が勃発、アーカンソー州のジェローム強制収容所、後にローワー強制収容所に収容されました。この収容所での体験をきっかけに、彼は芸術を通して日系アメリカ人の体験を表現するようになりました。
この絵画展は、全米日系博物館の広範囲にわたる杉本コレクションから、絵画、版画、素描など120点を展示、ひとりの移民、ひとりの日系アメリカ人、そしてひとりの画家として生きたヘンリー杉本の生涯を紹介します。
|
「マンザナを振り返る-博物館コレクションから」
2000年9月24日−2001年10月7日
|
|

モモ・ナガノ 「アメリカン・ファミリー」
|
第二次大戦中に米国政府の戦時転住局がもうけた10ヶ所の強制収容所のひとつだったマンザナは、50年以上にわたって多くの写真家たちの表現の対象になっています。博物館所蔵のコレクションから、アンセル・アダムス、ロバート・ハスイケ、マスミ・ハヤシらの作品を厳選しておおくりします。
さらに二世アーティスト、モモ・ナガノの作品「アメリカン・ファミリー」が、新たに展示品に加わりました。この作品は、ロサンゼルスの30番街に住んでいた200人近い日系アメリカ人の友人、知人の名前が星条旗に縫いこまれています。彼らはみな、この街から強制収容された人達です。生活を奪われ、その後の人生に大きな影響を与えた強制収容という違法行為への批判が、一人一人の名前の行間に浮き上がってきます。「アメリカン・ファミリー」は、カリフォルニア市民の自由に関する教育プログラムから助成金を受けて創作されました。
|
日米アーティスト交流プログラム参加者展
2001年5月11日−9月2日
|
|

メイリン・ホン 「Silkworm Grind」 2000
|
1979年以来、100人以上のアメリカ人アーティストたちが、日米アーティスト交流プログラムより奨励金を受け、日本に滞在し創作活動を行っています。
この展示では、近年このプログラムに参加したベリッツ・ブラザー、メイリン・ホン、キム・ヤスダたち3人のアーティストによる最近の作品を紹介しています。それぞれのオブジェに漂う、微妙な、そして刺激的な日本体験のインパクトをお楽しみください。
日米アーティスト交流プログラムは、日米フレンドシップ・コミッション(JUSFC)と連邦芸術基金(NEA)の共催で運営されています。
|
「アメリカの強制収容所
−日系アメリカ人の体験を語り継ぐ」展
|
|

グレース&ジョージ・イズミ寄贈 (94.182.3)
|
第二次世界大戦中、12万人以上の日系アメリカ人が強制収容されました。彼らの多くは米国市民であったにもかかわらず、なんの法的手続きもなく、日系であるというだけで、それまで培ってきた生活のすべてを奪われたのです。その歴史は、いまだ多くのアメリカ人たちにも知られず、十分に理解されているとはいえません。この展示は、その苦難を生き抜いた人々の体験を、彼ら自らの言葉と、写真、ビデオ、絵画、生活用品などを通して、語り継ぎます。
「アメリカの強制収容所」展は全米日系人博物館が構成し、ラルフ・アップルバム・アソシエーツのデザインにより、1994年にロサンゼルスの全米日系人博物館で初公開され、その後全米各地で巡回されてきました。
|