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日系アメリカ人強制収容所の概要

「アメリカの強制収容所-日系アメリカ人の体験を語り継ぐ」展より

この展示はどんなものですか?

「アメリカの強制収容所」展は、いまだ一般のアメリカ人にもほとんど知られず、理解されていない、アメリカ史の暗い1ページを、日系アメリカ人自らがひもとき、作製した歴史展示です。
大勢のなんの罪も犯していない日系アメリカ人が、自分たちの政府によって、有刺鉄線に囲まれ、銃を持った兵士が監視する収容所に送りこまれました。展示では、収容体験者たちの証言や写真、8ミリフィルム、手製の生活用品、収容所の中で描かれた絵やさまざまな手工芸作品などを通して、当時の生の体験を再現しています。
戦後何十年ものあいだ、多くの収容体験者は口を閉ざし、また閉ざされていました。なにがあのとき起こったのか、より多くの人々にそれを伝えることが、二度と同じ過ちを起こさない最善の道であると、いまかれらは辛い記憶を語りはじめたのです。

なぜ日系アメリカ人は収容所に入れられたのですか?

1941年12月7日、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲すると、アメリカはすぐ、日系アメリカ人が国防に危険をもたらすのではないかと疑いました。実際には、日系アメリカ人は真珠湾攻撃にまったく関係しておらず、スパイ行為や軍事、生産への妨害行為なども、当時もいまも、まったく発見されなかったにもかかわらずです。
強制収容された日系アメリカ人たちは、その7割がアメリカ生まれの二世で市民権を持っていましたし、のこりの3割の一世たちも、市民権を取ることは禁じられていましたが、すでに永住権をもち、20年から40年もアメリカで暮らしていた人たちでした。
1982年、アメリカ議会に任命された調査委員会は、日系アメリカ人強制収容が、適当な国防上の理由で行なわれたものではなく、その真の理由は人種差別であり、戦時ヒステリーであり、政治指導者の失政であった、と結論をくだしています。

第二次世界大戦では、アメリカはドイツとイタリアとも戦争をしていたわけですが、ドイツ系とイタリア系のアメリカ人たちも強制収容所に入れられたのですか?

短い期間だけ拘留されたドイツ人、イタリア人はいましたが、集団強制収容はありませんでした。20世紀のはじめから、反アジア人、とりわけ反日本人感情が蔓延していました。たとえば、日系移民は人種差別によって、ヨーロッパ系移民と違い、1952年まで市民権を取得することはできませんでした。

強制収容された日系アメリカ人たちの家や財産はどうなったのですか?

自分たちの家から立ち退きを命ぜられたとき、かれらは自分で持てるだけの荷物しか持っていくことを許されませんでした。家はそのまま空家にするしかなく、家具など持っていけない財産は、足元をみたアメリカ人たちに安く買い叩かれました。少数ではありますが、収容されているあいだ、家や商店、会社を管理してくれる日系でない友人を見つけることができた人もいました。経済的損失は計り知れないものでした。

なぜ「Concentration Camps(強制収容所)」と呼ばれたのですか?

当時のアメリカ政府関係者たちが「Concentration Camps(強制収容所)」という言葉を使っていたのです。ジョン・ランキン下院議員は、日本軍の真珠湾攻撃から8日後の1941年12月15日に、こう言っています。
「アメリカ、アラスカ、ハワイにいるすべての日本人を捕まえて、『Concentration Camps(強制収容所)』に入れてしまえ」
またフランシス・ビドル司法長官は1943年12月30日に、「善良なアメリカ市民を、人種を理由に、必要以上に『Concentration Camps(強制収容所)』に抑留している現在の処置は、危険であり、政府の基本方針と矛盾している」と発言しています。
政府はさまざまな婉曲的表現を使っていましたが、それらの言い換えにまどわされないことが、事実の重大さを理解するために大事なことです。

しかしアメリカ政府は「Relocation Centers(転住センター)」とも呼んでいたのではないですか?

アメリカ政府は「強制収容」という非人道的行為を、歪曲的表現で和らげようとしました。しかし、アメリカ最高裁判事オーエン・J.ロバートも、1944年12月18日に、「『集合センター』とは牢獄の言い換えである。(中略)『転住センターは強制収容所の言い換えにすぎない」と、その歪曲的表現を批判しています。抑留命令は「市民排除命令」と言い換えられ、アメリカ市民を「非外国人」と呼んで区別しました。
広範囲で、継続的なこのような歪曲的表現は、訴訟や憲法違反論議を避けるだけでなく、被害者からの協力を得、アメリカ人と国際世論をあざむくためのにも使われていたのです。

アメリカ政府は、収容所が間違いであったと認めましたか?

はい。ロナルド・レーガン大統領によって署名された「1988年市民の自由法(通称、日系アメリカ人補償法)」で、アメリカ政府は強制収容が重大な基本的人権の侵害であったと認めました。「日系アメリカ人の市民としての基本的自由と憲法で保障された権利を侵害したことに対し、議会は国を代表して謝罪する」


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