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日系アメリカ人強制収容所のデータ

概要

第二次世界大戦中、アメリカ政府は12万人以上の日系アメリカ人を、西海岸から強制的に立ち退かせた。かれらの7割はアメリカ生まれの二世で市民権を持っていたにもかかわらず、中西部に設けられた10ヶ所の強制収容所に送られた。ハワイの日系アメリカ人は、人口比率がとても大きかったので、強制退去を強いられた人々は少数にとどまった。

法的認可

  • 大統領行政命令9066号、1942年2月19日-裁判や公聴会なしに、特定地域から住民を排除する権限を陸軍にあたえる。
  • 大統領行政命令9012号、1942年3月18日-強制収容所を管理するために、戦時転住局を設置する。

強制収容に関わった政府機関

  • 西部防衛司令部-西部8州からなる地域の陸軍司令部
  • 戦時市民管理局-「集合センター」への収容を管理
  • 戦時転住局-強制収容所を管理

最高裁判所の判決

  • ヒラバヤシ対アメリカ合衆国(1943年)-人種を基準にした軍部の夜間外出禁止令の合法性を支持
  • コレマツ対アメリカ合衆国(1943年)-軍部による抑留処置の合憲性を支持
  • エンドウ(一方だけの裁判)(1944年)-戦時転住局は忠誠を示すアメリカ市民を抑留することはできないと評決。強制収容を終わらせるきっかけとなる。

「集合センター」の所在地と運営期間

米国陸軍によって管理された16ヶ所のセンターは、強制立ち退きを命じた日系アメリカ人たちを、強制収容所へ送るまでのあいだ、拘留するために設けられた。センターは野外催事場や競馬場の馬小屋などを急ごしらえで転用したもので、その施設は人間が住むようなものではなかった。

所在地 英語名 運営期間(1942年)
ピュウアラップ Puyallup ワシントン 4/28-9/12
メリースビル Marysville カリフォルニア 5/8-6/29
タンフォーアン Tanforan カリフォルニア 4/28-10/13
トゥーロック Turlock カリフォルニア 4/30-8/12
サリナス Salinas カリフォルニア 4/27-7/4
トゥレアー Tulare カリフォルニア 4/20-9/4
ポモナ Pomona カリフォルニア 5/7 - 8/24
マンザナー Manzanar カリフォルニア 3/21-6/2
ポートランド Portland オレゴン 5/2-9/10
サクラメント Sacramento カリフォルニア 5/6-6/26
ストックトン Stockton カリフォルニア 5/10-10/17
マーセッド Merced カリフォルニア 5/6-9/15
フレズノ Fresno カリフォルニア 5/6-10/30
サンタ・アニタ Santa Anita カリフォルニア 3/27-10/27
メイアー Mayer カリフォルニア 5/7-6/2
パインデール Pinedale カリフォルニア 5/7-7/23

強制収容所の所在地と運営期間

戦時転住局に管理された10ヶ所の強制収容所は、有刺鉄線に囲まれ、武装した警備兵に監視されていた。

所在地(別名) 英語名 運営期間
セントラル・ユタ(トパーズ) Central Utah (Topaz) ユタ 9/11/42 - 10/31/45
コロラド・リバー(ポストン) Colorado River (Poston) アリゾナ 5/8/42 - 11/28/45
ヒラ・リバー(リバース) Gila River (Rivers) アリゾナ 7/20/42 - 11/10/45
グラネダ(アマチ) Granada (Amache) コロラド 8/27/42 - 10/15/45
ハートマウンテン Heart Mountain ワイオミング 8/12/42 - 11/10/45
ジェローム(デンソン) Jerome (Denson) アーカンソー 10/6/42 - 6/30/44
マンザナアー Manzanar カリフォルニア 6/1/42 - 11/21/45
ミニドカ(ハント) Minidoka (Hunt) アイダホ 8/10/42 - 10/28/45
ローワー Rohwer アーカンソー 9/18/42 - 11/30/45
トゥール・レイク(ニューエル) Tule Lake (Newel) カリフォルニア 5/27/42 - 3/20/46

司法省管轄の収容所

戦時転住局によって「トラブル・メーカー(問題を起こす者)」とみなされたひとたちで、アメリカ市民でない人たちが、強制収容所から以下の収容所に転送された。

所在地 英語名
サンタ・フェ Santa Fe ニュー・メキシコ
ビスマルク Bismarck ノース・ダコタ
クリスタル・シティ Crystal City テキサス
ミズーラ Missoula モンタナ

市民隔離収容所

戦時転住局によって「トラブル・メーカー(問題を起こす者)」とみなされたひとたちで、アメリカ市民である人たちが、強制収容所から以下の収容所に転送された。

所在地 英語名
モアブ Moab ユタ
ループ Leupp アリゾナ

その他のセンター

所在地 英語名
シーゴービル Seagoville テキサス
ストゥリングトン Stringtown オクラホマ
アッセンブリー・イン、モントリート Assembly Inn, Montreat ノース・カロライナ
フォート・シル Fort Sill オクラホマ
トゥーラホーマ Tulahoma テネシー
フォート・リビングストン、アレキサンドリア Fort Livingston, Alexandria ルイジアナ
フォート・リンカーン Fort Lincoln ノース・ダコタ
フォート・リチャードソン Fort Richardson アーカンソー

ハワイの抑留センター

所在地 英語名 運営期間
サンド・アイランド Sand Island 1942-43
ホノルル Honouliuli 1943-45
マウイ Maui 1942-43
カウアイ Kauai 1942-44
ハワイ Hawaii 1942-44
モロカイ Molokai 1942
ラナイ Lanai 1942

補償と謝罪

1948年の日系アメリカ人立ち退き補償請求法で3800万ドルの補償がおこなわれたが、これは実際の損害の一割にも満たない金額だった。
1983年、「戦時市民転住収容に関する委員会」は『否定された個人の権利』と題する報告書を発表し、生存するすべての被収容者に対する賠償を勧告した。
1988年、「市民の自由法」の成立により、強制収容に対するアメリカ政府の公式謝罪と、生存する被収容者への補償が実現した。


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