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別府春海
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全米日系人博物館


別府春海氏は、現在京都文教大学において文化人類学教授を勤めると同時に、スタンフォード大学人類学部の名誉教授でもある。氏の日本文化に関するさまざまな研究は日本とアメリカの由緒ある専門紙に掲載されており、日本研究の大家の一人である。

e-mail: befu@po.kbu.ac.jp

研究テーマ:
「日本のグローバル化現象からみた日系人」

日本をはなれて国外に居住する日本人とその子孫として定義される「日系人」という概念は、従来は戦前から戦後1960年代までにかけての北米・南米への移民とその子孫というかなり明確なものであった。しかしながら、今日では、日系人は多くのサブ範疇を含む、かなり複雑な概念となってきた。別府博士は可能な限り世界中の日系人のさまざまな経験を調査・研究することを目的としている。新しいサブ範疇の一つにあげられるのは、西半球に過去20年から30年の間に移住した日本人とその子孫である。これらの日本人移民は、古い世代の移民とはまったく違った特徴を有する。 彼らは、一般により高い教育をうけており、また彼らが西半球でつく職種は、旧世代とは異なったものである。さらに彼らは日本との強いつながりを持ち続け、定住の意志をもってやってくるものも多い。第二のサブ範疇は、第二次世界大戦後に、自らの意志で海外に残った、あるいは強制的に残された日系人である。このなかには、中国大陸に残された乳幼児や、フィリピンの農場で働いていた日本人労働者の子孫や、ソ連の満州侵攻中に労働キャンプに連れ去られた日本人男性などが含まれる。 このように国際的な環境での日系人の変化に富んださまざまな経験を注視しそれを大切にすることが、別府博士の研究の究極の目的である。



15世紀以降、日本は世界に向かって拡張を続けてきた。15世紀から17世紀にかけては、日本の海賊や商人が、中国や東南アジアの海岸沿いを徘徊し、時には、海外に日本人村を開拓したりもした。この時期の人口拡散は、封建幕府が鎖国政策をとった際終わりを告げた。第2期の人口拡散は、19世紀の半ばに始まり、何百万の日本人が、ハワイ、南米・北米、東アジア、東南アジア、オセアニア州へ移民した。その結果、日系コミュニティは世界各国に形成された。この時期の人口拡散は、1945年の第二次世界大戦の終焉とともに、終わりを告げた。
第3期の人口拡散は、終戦後まもなく始まり、今日にいたっている。1868年以降の移民は、下記の8種類に大別される。
(1) 戦前の世界各地への移民。大半は、西半球への移民であるが、数はわからないものの、アジア、オセアニアへの移民も存在する。
(2) 「戦争花嫁」この種の移民の大半は、合衆国、オーストラリア等へ1950年代に外国の兵士と結婚するため移民を行った者であり、今日まで続いている。日本に軍事基地が存在する限り存続するであろう。
(3) 戦後移民。この種の移民の大半は、南米へ移民したが、中には北米へ移民したものもある。彼等の大半は、不適切な政府の政策にしたがって移民し、大変困難な目にあった。
(4) 軍人以外の国際結婚によるもの。大半は、日本女性の外国人男性との結婚である。
(5) 多国籍企業の駐在員だったものとその家族。この種の移民は、戦後もっとも多数を占めると思われる。
(6) 上記の移民に生活の基本的サービスを提供するために移民したもの。これらの移民は、上記の移民とは多少ことなるコミュニティを形成する。
(7) 日本での生活に不満を抱き、故国をはなれたもの。あるものは、(6)のコミュニティに参加する。
(8) 落ちこぼれ。日本の生活に退屈したもの、あるいは、就職、進学ができなかったもの。その大半は、日本の両親に送金を受けている。
この8種類の日系の範疇は、世界中の大半の地域でみられ、お互いにからみあって複雑な関係を保っている。