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飯野正子
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全米日系人博物館


飯野正子女史は、東京津田塾大学の教授で、カナダのマギル大学とアドカディア大学で、日加関係の専門家として、客員教授を勤める。女史は、日本カナダ研究会の会長で、また、日本アメリカ研究協会(Executive Committee of the Japanese Association of American Studies)とDeliberation Council on Immigrationの会員である。女史は、日加、日米関係、ならびにエス二シティ、アイデンティティ、国際関係、移住・移民問題に関する数多くの研究書や、専門紙への研究論文を発表している。

e-mail: iino@tsuda.ac.jp

研究テーマ:
「LARAと日系カナダ人(及び日系アメリカ人)」

飯野女史はカナダと日本の国家関係がカナダの日系カナダ人の実態にどのような影響を与えたかを、第二次大戦直後の「LARA―公認アジア救済機関」の救済運動を研究することにより、明らかにしようとするものである。LARAとは1946年から1952年にかけて、食料や衣料を集めて、戦争により荒廃した日本に送る機関であった。この間、日本に送られた義援品は、1952年で1万7千トン、400億円に上った。援助総数の約20%は、日系カナダ人、日系アメリカ人その他のラテン・アメリカ日系人により寄付されたものである。LARAによる援助活動のなかで、日系人が演じた役割を分析することによって、飯野女史は、忠誠心、エスニック・アイデンティティとその形成の問題をめぐって、国際政治の砲火にとらわれた日系カナダ人と日本人移民の子孫の対応の複雑性について、探求する予定である。



第二次大戦中の強制収容がカナダと合衆国の日系人(特に二世)の自己イメージと、人種アイデンティティに与えた影響の大きさを唱える学者は多い。この経験のため、彼等の多くは、日本人の血を引くことを恥と思い、其の事実を否定したり、隠したりした。自分達や、周りの人々に日本を思い起こさせるものから遠ざかったりもした。
しかし、なかには、日本の日本人が戦後置かれている状況に深く憂慮したものもいる。かれらは、戦争に打ちひしがれた日本を援助する方法は無いものかと考え、その結果民間のアメリカ人によって創設された「LARA(Licensed Agencies for Relief in Asia)」と呼ばれる機関を通して、援助を行うことが出来ることを発見した。これは、1946年から1952年にわたって 食料や衣服を集め、戦災下の日本に送った機関である。これらの救援物資は合計1万7千トン、1952年現在400億円に及んだ。このLARA救援物資は、日本政府、国民から大変感謝された。ここで大切な事は、約20%の物資は、南米、北米の日系人による寄付である。以下の記述は一概に誇張とは言い切れないだろう。「太平洋戦争は南米・北米の日系人にとって計り知れない苦難をもたらした。これらの日系人にとって、『戦後50年』の出発点は、太平洋を超えた母国の戦災に打ちひしがれた人々を助けることだった。」
日本国政府の文書とその他のLARA関連文書によって、どのようにLARA活動が始まり、どのように北米の日系コミュニティが活動に参加し、日本国政府がどのようにこの救援活動を認識していたが明らかになった。