即日発表 - 2022年05月02日

プレス連絡先:

Masako Miki - mmiki@janm.org - 213.830.5636

JANM

来館者を第二次世界大戦中の日系人強制立ち退きの現場へといざなう拡張現実の特別展が開幕

UCLA・早稲田大学連携「柳井イニシアティブ」との共催で「BeHere / 1942」展が5月7日から10月9日にかけて開催


今から80年前、第二次世界大戦の最中に、アメリカ政府は西海岸から日系アメリカ人を強制的に立ち退かせ、約12万人を強制収容所に収容しました。この5月に全米日系人博物館(JANM)に開幕するこの特別展では、ダウンタウン・ロサンゼルスにあるリトル東京に住む何千人もの日系人が、列車やバスで収容所に送られる前に、出頭を命じられた場所を拡張現実で再現し、来館者を1942年の暗黒の日々へといざないます。

5月7日に開幕する「BeHere /1942:日系アメリカ人強制収容についての新たな視点」展は、UCLAと早稲田大学の連携プロジェクトである柳井正イニシアティブ グローバル・ジャパン・ヒューマニティーズと、当館との共催で開催します。

日本のメディアアーティストのパイオニアであり、UCLA元客員教授の藤幡正樹氏の発案によるこの展覧会では、写真家ドロシア・ラングやラッセル・リーが、連邦政府から委託されて撮影した数千枚の1942年の強制立ち退きの歴史的写真が使われています。

藤幡は、これらの写真を展示に取り入れる一方で、立ち退きの悲劇に新たな光を当てるために、これらの写真を再検証し、新たな形へと変容させました。ある写真はAR(拡張現実)映像として再構成し、ある写真は超拡大して、その被写体の目に映るものを初めて明らかにしたのです。そして被写体が見たもの、つまりフレームのすぐ外側にいたはずの記者や政府関係者を浮かび上がらせました。

柳井イニシアティブのディレクターであるUCLAのマイケル・エメリック教授は「これは、写真が何を見せ、何を見せないかについての展示です」と語ります。「また、ある意味では、1942年にここリトル東京や西海岸で起こったことについての展示であり、同時に現在についての展示でもあります。あの時から80年経った今でも、私たちはアジア系に対する暴力やレイシズムと闘い、かつてから変わらずに続く公民権の社会問題に取り組んでいます」。

アジア系アメリカ人および太平洋諸島民ヘリテージ月間に開幕する「BeHere / 1942」は、リトル東京の3,475人の住民が自宅と財産と自由を失った1942年5月9日から、ほぼ80年後の5月7日にオープンします。これは戦時中の日系人の強制立ち退きの中でも最大規模のものでした。ロサンゼルスからは約37,000人の日系人が強制収容されました。その中には1942年4月に旧西本願寺(現在は当館のヒストリックビルティング、本館となっている建物)から収容所へと出発した多くの人々も含まれています。

この歴史的な寺院の建物に面した当館の屋外プラザでは、スマートフォン(「BeHere / 1942」アプリを使用)または当館で用意しているデバイスを使って、藤幡による200人規模の大規模なARインスタレーションをご覧いただけます。スマートフォンをヒストリックビルティングとその周辺に向けると、歴史をもとに再構成された3D映像が、現実の風景に重なり、かつての5月9日に起きたこと、また当時アメリカ西海岸各地で起きたような光景が再現されます。このインスタレーションは、10月9日に展覧会の会期が終了した後も継続して展示予定です。

ラングとリーの写真からインスピレーションを得て、当時の光景を再現する際には、ロサンゼルスと東京の両方で何十人ものボランティアの「俳優」が1942年当時の衣服を身にまとって参加しました。中には1940年代風のヘアスタイルにした人もいました。彼らの姿は、特別な撮影スタジオで、ボリューメトリックビデオキャプチャという新しい技術で撮影され、ARアプリに組み込まれました。このうち、5歳の時に家族とともにリトル東京から立ち退かされたミチ・タニオカ(85歳)を含む3人は、1942年に収容所に送られた人々の一人です。

タニオカは、「あの年齢で立ち退かされたことは、私の若い人生の主要な部分を占めました」と、当館のボランティア・ドーセント(ガイド)となるまでの日々、その収容の経験を恥じて過ごしてきたと振り返ります。「私の家族はより良い生活をし始めたところだったのに、全てが変わってしまったのです。2001年9月11日の後にも、もし私たちが注意を怠って声を上げなければ、同じことがほかの人たちにも起こりうるのを見ました。この展示が、同様のことを二度と起こしてはいけないというメッセージを送ってくれることを願っています」。

タニオカもまた、立ち退きの際に撮影された一人です。通訳と思われる日本人女性がひざまづき、2人の白人のカメラマンが記録する中、人形を握りしめる彼女の写真が展覧会カタログに掲載されています。藤幡はこの写真を参考に、ARのシーンのひとつを作りました。藤幡は数十枚の写真を見直し、カメラがパンすることで、タニオカやほかの子どもたちが遭遇した威圧的な光景を、時間が止まったようなその一瞬に再現したのです。

またこの展示では来館者に、立ち退きの様子を記録するために派遣された写真家の視点からその時を見ることを促します。展覧会場には、ダウンタウン・ロサンゼルスにあるサンタフェ駅が再現され、そこから日系人がマンザナー収容所に送られるという小規模なARインスタレーションが設置されています。この光景は、ラングが使用したグラフレックスカメラの特殊なレプリカを通してのみ見ることができ、会場の壁には来館者がそのカメラを通して撮影した写真が投影されます。

「これらの写真がどのように撮られたのか、つまり被写体と撮影者の関係を理解し、単に画像の消費者としてではなく、カメラの背後にいる人の視点からこれらの写真を見る方法を探そうとしました」と、2019年から2020年にUCLAで指導教授を務めた際に本展を構想した藤幡は述べます。「カメラマンが来て、写真を撮らせてくれと言われたら、特に強制立ち退きのような自分ではどうしようもない状況では、断ることはできませんでした。当時も今も、カメラは一種の暴力装置であり、明確なヒエラルキーが存在していたのです」。

この二重の視点は、強制立ち退きと収容への深い関与を促し、収容された人々への深い共感を呼び起こすと同時に、写真家たちの目を通して見ることを来館者に強います。そうした写真の中には、例えばラングの写真のように、意図して不正義を写し出し、政府によって検閲された写真もあります。

当館、全米日系人博物館のアン・バロウズ館長兼CEOは、強制立ち退きや強制収容について教えるために新しい技術を使うことは、特に経験者がこの世を去ってしまった後、公民権の重要性について伝えるために不可欠な方法であると話します。

「日系人がリトル東京の自宅から強制的に追い出されてから80年が経ちますが、レイシズム、差別、排除の問題は依然として顕著に残っています。インクルージョンと社会正義のために声を上げていく必要性は喫緊の問題として存在し続けています。歴史的な知識と新しく革新的な技術を組み合わせてこれらの重要なストーリーを伝えることで、私たちはこのレガシーを尊重し、公正な未来を再構築する一助になればと願っています」。

現在90歳で当館でドーセントを務めるジューン・アオチ・バークは、80年前に収容所に行く準備をしたことを鮮明に覚えています。彼女の両親や近所の人々は、数日のうちにほとんどの持ち物を売り払い、コミュニティーのリーダーたちが連行されるのを見て逮捕されるのを恐れ、裏庭で日本とのつながりを示す家宝を燃やして処分しました。

「姉がものすごく動揺して『私には公民権がある。私たちにこんなことはできない。私たちはアメリカ市民なんだから』と言ったのを覚えています」とARでの再現に参加したバークは話します。以前は過去について話すのを避けていたバークですが、今では収容所のことを知らない、あるいは歴史の教科書の一節で知っているだけの生徒たちに自分の収容経験を話しています。

「ルーツを理由に人を非難するのはとても危険です」とバークは話します。「私は日本には行ったことがありません。私の家族が戦争を止めるためにできることは何もありませんでした。アメリカのイスラム教徒が9月11日の事件を起こしたのではなりません。アメリカのロシア人がウクライナを侵略したわけでもありません。誰かの公民権が奪われると、全員の公民権が軽く扱われてしまいます。私たちが声を上げなくてはならないのです。この展示は、誰もこのような経験を二度としないよう強く意識し続けることを思い出させてくれます」。


###

 

全米日系人博物館(JANM)について
1985年の設立より、JANMは日系アメリカ人の経験を共有することによって、アメリカの民族的・文化的多様性への理解と認識を深めています。ロサンゼルスのダウンタウン、歴史あるリトルトーキョー地区に位置するJANMは、伝統的な博物館のカテゴリーを超えたハイブリッドな施設で、日系アメリカ人の声を伝えるとともに、あらゆる人が自分たちのヘリテージや文化を探求できる場を提供することを目指しています。1992年の一般公開以来、JANMは70展以上の展覧会を開催し、そのうち17展はアメリカのスミソニアン博物館やエリス島移民博物館をはじめ、日本や南米の主要な博物館など世界各地を巡回しました。当館についての詳細はjanm.orgをご覧いただくか、ソーシャルメディア@jamuseumでフォローしてください。


柳井イニシアティブについて
柳井イニシアティブは、アパレル企業ユニクロ創業者の柳井正氏からの多額の寄付によって設立されたもので、UCLAアジア言語文化学科の一部門として、日本の名門大学の一つである早稲田大学と連携しています。このプログラムは、学術研究および文化的なプログラムを支援し、両大学間の学生および教員の交流を促進しています。柳井イニシアティブは、「BeHere / 1942」展の主要スポンサーです。また、ナショナル・トラスト・フォー・ヒストリック・プリザベーションの「Telling the Full History Preservation Fund」、UCLAアーツイニシアティブ、国際交流基金、朝日新聞財団からも助成をいただいています。詳しくはyanaiinitiative.orgをご覧ください。


メディア・コンタクト
Masako Miki, JANM | 213.830.5636 | mmiki@janm.org
Alison Hewitt, UCLA | c 818.521.3175 | ahewitt@stratcomm.ucla.edu