即日発表 - 2022年01月14日

プレス連絡先:

Masako Miki - mmiki@janm.org - 213-830-5636

JANM

声明:全米日系人博物館はウォーレン・N・ミナミ博士を追悼します。


全米日系人博物館(JANM)は、ウォーレン・ノリ・ミナミ博士(享年83歳)が2022年1月9日にメリーランド州ベセスダで逝去されたとの報を受け、哀しみにくれています。ミナミ博士は、国際通貨基金(IMF)のシニア・エグゼクティブとしての職を退職され、1998年から2006年までJANMのボード・オブ・ガバナーを務められました。ミナミ博士は現JANMガバナーのデニー・ミナミ氏の兄でもあります。

「ウォーレン・ミナミ博士の訃報に接し、全米日系人博物館の評議員、理事、スタッフ、ボランティアを代表して、哀悼の意を表します。全米日系人博物館のガバナーとして、また全米日系人記念財団の理事長として発揮されたリーダーシップをはじめ、コミュニティーとこの国をより良いものとするために尽力された彼の献身を決して忘れません。深く感謝するとともに、ご家族に心からお悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈りします」と全米日系人博物館理事長のノーマン・ミネタは話します。

メリーランド州ポトマック在住であったミナミ博士は、全米日系人記念財団の名誉退職会長を務め、日系アメリカ人市民同盟や日系アメリカ人退役軍人協会などのメンバーとして長年にわたって活躍された日系社会の中心人物でした。また、メリーランド州知事のアジア太平洋アメリカ人委員会の委員にも任命されました。

1938年にサンフランシスコで生まれたミナミ博士は、第二次世界大戦中、アリゾナ州のヒラリバー強制収容所に収容されました。1943年に収容所を出た後、一家はデトロイトに移り、1945年にワシントンD.C.で新しい生活を始めることになりました。ミナミ博士は1962年から1965年まで空軍士官として勤務し、アメリカン大学で経営学の博士号を取得。柔道の黒帯3段で、熱心なゴルファーでもありました。

ミナミ博士は、妻のキャロル・A・ヘンリー-ミナミ、子供のウェイド・R・ミナミ(クリスティー)、クリスティン・M・ミナミ(ジョン・コンガー)、W・ダグラス・ミナミ、ピーター・C・プレイオII、ステファニー・M・プレイオ(アーロン・ウィッティアー)、スーザン・A・プレイオ(ラリー・シア)、カーラ・M・ミナミ、兄弟のウェイン・H・ミナミ(アーリーン)とW・D ”デニー” ミナミ(イーダ)、孫のペイトン・M・エルメンドルフ、アジソン・P・プレイオ、エマーソン・A・G・プレイオ、アレキサンダー・R・プレイオ、ギャビン・M・プレイオ、コンナー・J・F・ミナミを遺して旅立たれました。両親のヘンリー・K・ミナミとDr. Henry K. Minamiとクレア・F・ミナミはすでに逝去されています。

ミナミ博士は第二次世界大戦中の強制収容が彼の人生に落とした影響について、2019年にオーラルヒストリーを残しており、このインタビューはStoryCorpsのウェブサイトで閲覧できます。
 

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1985年の設立より、全米日系人博物館(JANM)は日系アメリカ人の経験を共有することによって、アメリカの民族的・文化的多様性への理解と認識を深めています。ロサンゼルスのダウンタウン、歴史あるリトルトーキョー地区に位置するJANMは、伝統的な博物館のカテゴリーを超えたハイブリッドな施設で、日系アメリカ人の声を伝えるとともに、あらゆる人が自分たちのヘリテージや文化を探求できる場を提供することを目指しています。1992年の一般公開以来、JANMは70展以上の展覧会を開催し、そのうち17展はアメリカのスミソニアン博物館やエリス島移民博物館をはじめ、日本や南米の主要な博物館など世界各地を巡回しました。当館についての詳細はjanm.orgをご覧いただくか、ソーシャルメディア@jamuseumでフォローしてください。