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松本若次 : 二つの世界を生きた芸術家
松本若次は、1889年7月17日、日本の広島県廿日市市地御前で、松本若松とハル(旧姓元山)のもとに生まれました。1906年、父若松はロサンゼルスにある自身の農園を手伝うよう若次を呼び寄せます。若次は日本からカナダのブリティッシュ・コロンビア州のビクトリアまで船で渡り、そこから小船や鉄道でロサンゼルスへ辿り着きました。若次はまず英語を身に付けるため雑用係として働き、その後農園で働くようになりました。若次はグラフィックアーティストになることを強く望んでいました。それは新しい世界へ足を踏み入れるという難しい挑戦であり、また父若松にも反対されているものでした。しかし若次が写真花嫁の木村テエと結婚したあと、若松は農園の経営の仕方をテエに教えました。経営が軌道に乗ったころ、若松は日本へ帰国します。そして若次はロサンゼルスで写真家としての道に進むことができたのです。 1927年、若次とテエ、そしてアメリカ生まれの子供たちは広島に帰郷しま...
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Wakaji Matsumoto: An Artist in Two Worlds—Los Angeles
By 1922, Wakaji was an active photographer in the Los Angeles photography community. By 1925 he was an assistant at Toyo Miyatake’s studio in Los Angeles’s Little Tokyo. Toyo was the son of the first Japanese confectioner in Los Angeles. Like Wakaji, he yearned to be an artist and did not want to follow in his father’s footsteps. After Toyo took a course with local photographer H. K. Shigeta, he bought the Paris P...
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松本若次 : 二つの世界を生きた芸術家 —ロサンゼルス
1922年には若次はロサンゼルスの写真業界で写真家として活発に活動していました。そして1925年にはロサンゼルスのリトル東京にあった宮武東洋の写真館でアシスタントとして働き始めました。 東洋の父親は、ロサンゼルスの最初の和菓子職人の一人でした。若次と同じく東洋もまた、芸術の道に進むことを望んでいて、父親の跡は継ぎたくないと考えていました。東洋は地元の写真家H・K・シゲタの元で写真のコースを受講した後、1923年に「パリ写真スタジオ」を購入し、「リトル東京LA」と名前を変えました。東洋の写真館は次第にリトル東京で最も有名な写真館になっていきました。 1926年から1927年にかけて、若次は当時としては珍しい、ロサンゼルスのエリアにある日系アメリカ人の借地の農家を撮影したパノラマ写真を制作しました。写真の中で家族やその従業員たちは畑の中に立ち、まるで彼らが育てている作物のように、地面に根を張っているようでした。こ...
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Wakaji Matsumoto: An Artist in Two Worlds—Hiroshima
The Matsumoto family returned to Hiroshima in the summer of 1927. Upon their return, Wakaji opened Hiroshima Shashinkan (Hiroshima Photography Studio) in the Naka Ward, near the Hiroshima Prefectural Industrial Promotion Hall—now known as the Atomic Bomb Dome. The Matsumotos lived above the studio. Wakaji did studio work, commercial photography, and contract photography for the Japanese military and other busines...
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松本若次 : 二つの世界を生きた芸術家 —広島
松本一家は1927年の夏に広島に帰郷しました。そして、広島市中区、現在は原爆ドームとして知られている広島県産業奨励館の近くに「広島写真館」を開きました。家族は写真館の二階で暮らしました。 若次は写真館のスタジオのほか、商業用の宣伝写真、また日本軍やその他企業の契約カメラマンとしての仕事も手掛けました。若次の写真は高く評価され、広く需要がありました。それ以外にも若次は、広島市内の日常風景や周囲の田舎の様子なども写真に収めました。これらの写真の多くは、その後原爆によって破壊されてしまう広島の人々や行事や風景を捉えた唯一の記録となっています。 1929年には広島の人口は27万人となり、日本の教育的、文化的、政治的、また経済的な中心地の一つとして賑わいました。1920年代の日本では、物語を表現したり、社会や文化について記録できることから写真が高く評価され始めました。1920年代後半には、シュルレアリスムや新即物主義、...
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Wakaji Matsumoto: An Artist in Two Worlds—Resources
Wakaji Matsumoto—An Artist in Two Worlds: Los Angeles and Hiroshima, 1917–1944 highlights an artist’s rare photographs of the Japanese American community in Los Angeles prior to World War II and urban life in Hiroshima prior to the 1945 atomic bombing of the city. Browse this exhibition’s resources below which include essays by Dennis Reed, the curator of the exhibition, and Karen Matsumoto, Wakaji’s granddaughter...
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松本若次 : 二つの世界を生きた芸術家 —リソース
「松本若次:二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年」では、写真家、松本若次のレンズを通して撮影された、第二次世界大戦前のロサンゼルスの日系アメリカ人コミュニティーと、1945年の原爆投下前の広島の都市の生活を記録した貴重な写真の数々をご紹介します。 ここでは本展のキュレーターであるデニス・リードと、若次の孫娘にあたるカレン松本によるエッセイ、教育アクティビティー、またその他関連リソースを紹介します。是非ご覧ください。
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Wakaji Matsumoto: An Artist in Two Worlds—Event
Join us on Saturday, December 10, 2022, for a virtual program with curator Dennis Reed; project liaison Karen Matsumoto, Wakaji’s granddaughter; and Masami Nishimoto, writer for the Chugoku Shimbun, and others involved with highlighting Matsumoto’s work to delve deeper into his photographs and legacy. Click on the link below for more details and to RSVP. To see a complete listing of the JANM’s programs, check o...
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松本若次 : 二つの世界を生きた芸術家 —イベント
2022年12月10日(土)に松本若次の作品と、彼の写真とレガシーについて語るオンラインプログラムを開催します。出演は、キュレーターのデニス・リード、若次の孫娘であるカレン松本、元「中国新聞」記者の西本雅実です。日英同時通訳がつきます。 以下のリンクより詳細をご覧ください。予約も以下より受け付けています。 JANMのプログラムの一覧は、イベントカレンダーをご覧ください。
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Wakaji Matsumoto: An Artist in Two Worlds—Press
For press inquiries, email mediarelations@janm.org or call 213.625.0414. Press Photo Gallery (Password Access Only—contact mediarelations@janm.org for access.)