Wakaji Matsumoto self-portrait over rice paddy abstraction

オンライン展覧会

wakaji matsumoto graphic kozuko mincho pro m

二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年

Wakaji Matsumoto self-portrait over rice paddy abstraction

オンライン展覧会

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二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年

downtown hiroshima aioi bridge small

 「松本若次:二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年」では、写真家、松本若次のレンズを通して撮影された、第二次世界大戦前のロサンゼルスの日系アメリカ人コミュニティーと、1945年の原爆投下前の広島の都市の生活を記録した貴重な写真の数々をご紹介します。

このオンライン展示会では、若次の孫娘にあたるカレン松本と本展のキュレーターであるデニス・リードによるエッセイをはじめ、年表、フォトギャラリー、受賞歴もあるJANMのワタセ・メディアアーツ・センターによる短編ドキュメンタリー映像、また教育アクティビティーなども紹介しています。

松本若次は、1889年7月17日、日本の広島県廿日市(はつかいち)市の地御前(じごぜん)に、松本若松とハル(旧姓元山)のもとに生まれました。若次は父の農園を手伝うため、カナダを経由してアメリカに渡りました。農園では畑作業をしたり収穫した作物をロサンゼルスまで車で運んだりしていましたが、若次はグラフィックアーティストになることを強く望んでいました。若次にとって幸運であったのは、父の若松が若次の妻テエに農園の経営の仕方を教えることにしたため、若次はロサンゼルスと広島で活躍するプロのカメラマンとなることができたのです。1965年、若次は76歳の時に地御前で亡くなりました。テエはその後も家族と暮らした家に住み続け、1995年に101歳でこの世を去りました。若次の撮影した写真は手付かずのままになっていましたが、2008年、松本の孫で自身も写真家である大内斉(ひとし)によって発見され、それらの写真の価値と重要性に気付いた大内が写真を広島市公文書館に寄贈することにしました。

展示を最大限にお楽しみいただくために、コンピューターでの閲覧を推奨しています。

itaoka and his trucks small

 

dennis reed profile photo

デニス·リードはキュレーター、収集家、芸術家そして作家です。戦時中に日系人が強制収容されたことにより、大部分が失われた日系人写真家の作品を再発見したことで知られています。これまでにホイットニー美術館、ハンティントンライブラリー、オークランド博物館、コーコラン美術館、中国歴史協会(サンフランシスコ)、カリフォルニア写真博物館、全米日系人博物館など、大小合わせて50以上の展覧会を企画してきました。代表的な著書に『Pictorialism in California, 1900-1940』(ゲッティ美術館およびハンティントンライブラリー)、『Japanese Photography in America, 1920-1940』(日米文化会館)『Making Waves: Japanese American Photography, 1920-1940』(全米日系人博物館)など。ロサンゼルス・バレー・カレッジの芸術学部の元学部長。ロサンゼルス・カウンティー美術館(LACMA)の写真芸術評議会の元議長。

 

karen matsumoto profile photo

カレン松本は、松本若次の孫娘にあたり、現役を退くまで教育に携わってきました。「松本若次:二つの世界を生きた芸術家」ではプロジェクトのリエゾン役として関わりました。2013年に制作された、カレンの父についてのドキュメンタリー作品「名誉と犠牲:ロイ松本の物語」ではエグゼクティブ・プロデューサーを務めました。このドキュメンタリーは、松本若次によって撮影された写真にフォーカスを当てていて、若次の写真を広く一般に紹介するきっかけとなりました。カレンは、第二次世界大戦中におきた日系アメリカ人の強制収容の体験に関する教育カリキュラムを作成したり、サンフランシスコの全米日系歴史協会で指導教諭も務めています。また、ベインブリッジ島日系アメリカ人コミュニティーの理事でもあります。

 

「松本若次:二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年」は、全米人文科学基金計画助成金、カリフォルニア人文科学基金の全ての人のための人文科学助成金、およびバークレーJACLの支援により実現しました。しかしながら、この展覧会で表明されている見解、発見、結論、勧告は、必ずしも全米人文科学基金の見解を示すものではありません。また、松本若次の孫の大内斉さん、広島市公文書館のコントリビューター&ロジスティクス・コーディネーター、広島市公文書館、広島平和記念資料館、中国新聞社、広島フィルムコミッションのサポートを受けました。

また、若次や松本家の歴史について情報を提供してくださった、川本静枝さん、パット・デュープス・マツモトさん、クライド・マツモトさん、ダーン・エアリックさん、川本真さん恵子さん、川本夏海さん、矢野敏さん、松本文子さん、これらの方々の協力により本展は実現することができました。

本展覧会の全ての写真は松本若次が撮影したものです(著作権は松本家に帰属します)。JANMの展示であると示すために、JANMの透かしが入っている写真も松本家が著作権を保持しています。

上の写真:「松本若次セルフポートレイト」「相生橋周辺の広島市街地、1938年」「板岡とトラック」。全ての写真は松本若次撮影(©️ 松本ファミリー)

開催中

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 「松本若次:二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年」では、写真家、松本若次のレンズを通して撮影された、第二次世界大戦前のロサンゼルスの日系アメリカ人コミュニティーと、1945年の原爆投下前の広島の都市の生活を記録した貴重な写真の数々をご紹介します。

このオンライン展示会では、若次の孫娘にあたるカレン松本と本展のキュレーターであるデニス・リードによるエッセイをはじめ、年表、フォトギャラリー、受賞歴もあるJANMのワタセ・メディアアーツ・センターによる短編ドキュメンタリー映像、また教育アクティビティーなども紹介しています。

松本若次は、1889年7月17日、日本の広島県廿日市(はつかいち)市の地御前(じごぜん)に、松本若松とハル(旧姓元山)のもとに生まれました。若次は父の農園を手伝うため、カナダを経由してアメリカに渡りました。農園では畑作業をしたり収穫した作物をロサンゼルスまで車で運んだりしていましたが、若次はグラフィックアーティストになることを強く望んでいました。若次にとって幸運であったのは、父の若松が若次の妻テエに農園の経営の仕方を教えることにしたため、若次はロサンゼルスと広島で活躍するプロのカメラマンとなることができたのです。1965年、若次は76歳の時に地御前で亡くなりました。テエはその後も家族と暮らした家に住み続け、1995年に101歳でこの世を去りました。若次の撮影した写真は手付かずのままになっていましたが、2008年、松本の孫で自身も写真家である大内斉(ひとし)によって発見され、それらの写真の価値と重要性に気付いた大内が写真を広島市公文書館に寄贈することにしました。

展示を最大限にお楽しみいただくために、コンピューターでの閲覧を推奨しています。

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dennis reed profile photo

デニス·リードはキュレーター、収集家、芸術家そして作家です。戦時中に日系人が強制収容されたことにより、大部分が失われた日系人写真家の作品を再発見したことで知られています。これまでにホイットニー美術館、ハンティントンライブラリー、オークランド博物館、コーコラン美術館、中国歴史協会(サンフランシスコ)、カリフォルニア写真博物館、全米日系人博物館など、大小合わせて50以上の展覧会を企画してきました。代表的な著書に『Pictorialism in California, 1900-1940』(ゲッティ美術館およびハンティントンライブラリー)、『Japanese Photography in America, 1920-1940』(日米文化会館)『Making Waves: Japanese American Photography, 1920-1940』(全米日系人博物館)など。ロサンゼルス・バレー・カレッジの芸術学部の元学部長。ロサンゼルス・カウンティー美術館(LACMA)の写真芸術評議会の元議長。

 

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カレン松本は、松本若次の孫娘にあたり、現役を退くまで教育に携わってきました。「松本若次:二つの世界を生きた芸術家」ではプロジェクトのリエゾン役として関わりました。2013年に制作された、カレンの父についてのドキュメンタリー作品「名誉と犠牲:ロイ松本の物語」ではエグゼクティブ・プロデューサーを務めました。このドキュメンタリーは、松本若次によって撮影された写真にフォーカスを当てていて、若次の写真を広く一般に紹介するきっかけとなりました。カレンは、第二次世界大戦中におきた日系アメリカ人の強制収容の体験に関する教育カリキュラムを作成したり、サンフランシスコの全米日系歴史協会で指導教諭も務めています。また、ベインブリッジ島日系アメリカ人コミュニティーの理事でもあります。

 

「松本若次:二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年」は、全米人文科学基金計画助成金、カリフォルニア人文科学基金の全ての人のための人文科学助成金、およびバークレーJACLの支援により実現しました。しかしながら、この展覧会で表明されている見解、発見、結論、勧告は、必ずしも全米人文科学基金の見解を示すものではありません。また、松本若次の孫の大内斉さん、広島市公文書館のコントリビューター&ロジスティクス・コーディネーター、広島市公文書館、広島平和記念資料館、中国新聞社、広島フィルムコミッションのサポートを受けました。

また、若次や松本家の歴史について情報を提供してくださった、川本静枝さん、パット・デュープス・マツモトさん、クライド・マツモトさん、ダーン・エアリックさん、川本真さん恵子さん、川本夏海さん、矢野敏さん、松本文子さん、これらの方々の協力により本展は実現することができました。

本展覧会の全ての写真は松本若次が撮影したものです(著作権は松本家に帰属します)。JANMの展示であると示すために、JANMの透かしが入っている写真も松本家が著作権を保持しています。

上の写真:「松本若次セルフポートレイト」「相生橋周辺の広島市街地、1938年」「板岡とトラック」。全ての写真は松本若次撮影(©️ 松本ファミリー)

 

california humanities logo

 

このプロジェクトは全米人文科学基金のパートナーである非営利団体、カリフォルニア人文科学基金の支援によって実現しました。詳細はcalhum.orgをご覧ください。

 

メディア・スポンサー rafu shimpo logo

 

本展覧会の写真についての詳細は、カレン松本(WakajiExhibition@gmail.com)まで英語でご連絡ください。

開催中

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 「松本若次:二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年」では、写真家、松本若次のレンズを通して撮影された、第二次世界大戦前のロサンゼルスの日系アメリカ人コミュニティーと、1945年の原爆投下前の広島の都市の生活を記録した貴重な写真の数々をご紹介します。

このオンライン展示会では、若次の孫娘にあたるカレン松本と本展のキュレーターであるデニス・リードによるエッセイをはじめ、年表、フォトギャラリー、受賞歴もあるJANMのワタセ・メディアアーツ・センターによる短編ドキュメンタリー映像、また教育アクティビティーなども紹介しています。

松本若次は、1889年7月17日、日本の広島県廿日市(はつかいち)市の地御前(じごぜん)に、松本若松とハル(旧姓元山)のもとに生まれました。若次は父の農園を手伝うため、カナダを経由してアメリカに渡りました。農園では畑作業をしたり収穫した作物をロサンゼルスまで車で運んだりしていましたが、若次はグラフィックアーティストになることを強く望んでいました。若次にとって幸運であったのは、父の若松が若次の妻テエに農園の経営の仕方を教えることにしたため、若次はロサンゼルスと広島で活躍するプロのカメラマンとなることができたのです。1965年、若次は76歳の時に地御前で亡くなりました。テエはその後も家族と暮らした家に住み続け、1995年に101歳でこの世を去りました。若次の撮影した写真は手付かずのままになっていましたが、2008年、松本の孫で自身も写真家である大内斉(ひとし)によって発見され、それらの写真の価値と重要性に気付いた大内が写真を広島市公文書館に寄贈することにしました。

展示を最大限にお楽しみいただくために、コンピューターでの閲覧を推奨しています。

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デニス·リードはキュレーター、収集家、芸術家そして作家です。戦時中に日系人が強制収容されたことにより、大部分が失われた日系人写真家の作品を再発見したことで知られています。これまでにホイットニー美術館、ハンティントンライブラリー、オークランド博物館、コーコラン美術館、中国歴史協会(サンフランシスコ)、カリフォルニア写真博物館、全米日系人博物館など、大小合わせて50以上の展覧会を企画してきました。代表的な著書に『Pictorialism in California, 1900-1940』(ゲッティ美術館およびハンティントンライブラリー)、『Japanese Photography in America, 1920-1940』(日米文化会館)『Making Waves: Japanese American Photography, 1920-1940』(全米日系人博物館)など。ロサンゼルス・バレー・カレッジの芸術学部の元学部長。ロサンゼルス・カウンティー美術館(LACMA)の写真芸術評議会の元議長。

 

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カレン松本は、松本若次の孫娘にあたり、現役を退くまで教育に携わってきました。「松本若次:二つの世界を生きた芸術家」ではプロジェクトのリエゾン役として関わりました。2013年に制作された、カレンの父についてのドキュメンタリー作品「名誉と犠牲:ロイ松本の物語」ではエグゼクティブ・プロデューサーを務めました。このドキュメンタリーは、松本若次によって撮影された写真にフォーカスを当てていて、若次の写真を広く一般に紹介するきっかけとなりました。カレンは、第二次世界大戦中におきた日系アメリカ人の強制収容の体験に関する教育カリキュラムを作成したり、サンフランシスコの全米日系歴史協会で指導教諭も務めています。また、ベインブリッジ島日系アメリカ人コミュニティーの理事でもあります。

 

「松本若次:二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917年〜1944年」は、全米人文科学基金計画助成金、カリフォルニア人文科学基金の全ての人のための人文科学助成金、およびバークレーJACLの支援により実現しました。しかしながら、この展覧会で表明されている見解、発見、結論、勧告は、必ずしも全米人文科学基金の見解を示すものではありません。また、松本若次の孫の大内斉さん、広島市公文書館のコントリビューター&ロジスティクス・コーディネーター、広島市公文書館、広島平和記念資料館、中国新聞社、広島フィルムコミッションのサポートを受けました。

また、若次や松本家の歴史について情報を提供してくださった、川本静枝さん、パット・デュープス・マツモトさん、クライド・マツモトさん、ダーン・エアリックさん、川本真さん恵子さん、川本夏海さん、矢野敏さん、松本文子さん、これらの方々の協力により本展は実現することができました。

本展覧会の全ての写真は松本若次が撮影したものです(著作権は松本家に帰属します)。JANMの展示であると示すために、JANMの透かしが入っている写真も松本家が著作権を保持しています。

上の写真:「松本若次セルフポートレイト」「相生橋周辺の広島市街地、1938年」「板岡とトラック」。全ての写真は松本若次撮影(©️ 松本ファミリー)

 

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このプロジェクトは全米人文科学基金のパートナーである非営利団体、カリフォルニア人文科学基金の支援によって実現しました。詳細はcalhum.orgをご覧ください。

 

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本展覧会の写真についての詳細は、カレン松本(WakajiExhibition@gmail.com)まで英語でご連絡ください。

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